2002年8月1日から7日まで、小学校5年生から中学校2年生の日本の子ども80人がヤップに滞在しました。添乗した大人を含めると100人近い団体です。ヤップにはこれだけの人数を収容できるホテルはありませんし、快適に移動する観光バスもありません。まずこれだけの人数が一気にヤップの空港に降り立ったのも初めてです。いったいどうしてこんなことがおきたのでしょう?ほんとうにヤップのためになったのでしょうか?

ことの始まりは、元日本首相、森嘉郎氏が2000年にチュークを訪れたことにあります。このとき森氏に「ミクロネシアに日本の子どもを連れてくる」アイディアがひらめいたのだそうです。森氏は、財団法人世界青少年交流協会の会長でもあり、この年「子どもゆめ基金」が国会で承認されました。2001年、財団法人世界青少年交流協会に「子どもゆめ基金」から2億9千5百万円が委嘱されました。この委嘱金と参加者から集めた3千3百6拾万円(合計3億2千8百6拾万円!)が、この年の8月に行われた「ジュニアサイエンスクルーズ」で消費されました。2002年度に「子どもゆめ基金」から財団法人世界青少年交流協会に委嘱された金額はまだ不明です。が、今年度の委嘱金を使って企画されたのが、少年少女自然体験交流事業「ミクロネシア諸島自然体験」というプログラムで、ヤップに80人、パラオに80人、チュークに40人、ポンペイに40人の日本の子どもを派遣して、「自然体験」させるというものでした。この事業の主催は、財団法人世界青少年交流協会と独立行政法人国立オリンピック記念青少年総合センターになっていますが、旅行主催は、パラオはJTB、ヤップを含むミクロネシア連邦は日本旅行と、大手旅行会社がシェアする形となっています。国庫の財源、政治家、大手企業、日本の援助を期待する貧しい国、、、この構図、どこかで見たような、、、

さて、日本のお子様にヤップの自然を体験していただくために、地元では大迷惑・大騒ぎを被りました。それを逐一記録し後日このようにレポートしようとした「スーの悪巧み」は、主催者財団法人世界青少年交流協会を震え上がらせたと見えて、遂にスーは制服のお巡りに追い掛け回されるはめになってしまいました(笑)断わっておきますが、スーは「ストーカー」なんかしてませんし、参加の子どもを怖がらせたりもしてませんよ。公共の場所で行われる事業を記録されるのを嫌がることこそ異常ですし、それを「政治力」を使って「権力」で排除させようとした行為は、この団体がどのようなものであるか自ずと語っていますね。

事の顛末は、「独立行政法人国立オリンピック記念青少年総合センター理事長への報告書」を読んでいただければ、だいたい様子がわかると思います。ふうー、、、

 

 

 

最終レポート (日本文・2005年1月アップ)各ニュースソースの承諾を待っていますので、リンクは少々お待ちください。

独立行政法人国立オリンピック記念青少年総合センター理事長への報告書(日本文・2002年8月25日)

ヤップ州知事宛レター(英文・2002年8月20日)

ヤップの関係者に配ったレポート (英文・2002年7月)

 

 

 

 

 

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