日本ではちょっとアイドルかもしれない『石川直樹』氏が、2001年の暮も近い頃、ヤップにたくさんのテレビ屋さんを連れてやってきました。なんとなんと、彼はミクロネシアの航海術を伝承するための勉強をしている(?)んだそうです。それにしては、彼の名前は島ではぜーんぜん知られてないし、なんだこりゃー?てな訳で、私スーおばさんの介入となった次第です。

その年の始め、彼は世界7大陸のそれぞれ一番高いところを制覇(あまり感じのいい言葉ではないネ)した(といっても、今では金さえ払えば、素人でもエベレストに登れるらしい)ので、マスコミでアイドル的に取り上げられたらしい。その勢い( ?) で、次のターゲットをミクロネシアにしたかったらしいんだけど、残念ながらお坊っちゃまの夢はここでは通らなかった(笑)

私がこの動きを知ることになったきっかけは、TBSとテレビ朝日のディレクター氏から、それぞれメールや電話で質問を受けたこと。同じ人物を扱った取材を、ほぼ同じ時期に、同じディスティネーションで、違うテレビ会社が企画するなんて、変でしょう?それで、「なんだこの石川某なるお兄ちゃんは?」と調べ始めた訳です。

結局わかったことは、2001年11月に、テレビ朝日のニュースステーション(久米さん大好きでした!) の製作会社オフィス21のディレクター氏(当時) をうまく乗せて、飛行機代、宿代、食事代、土産代まで出させ、日本テレビのおはようモーニングから衛星電話を借りて現地から出演し、読売寺子屋サイトで日記を発表し、ついでに翌月予定しているTBSbs1開局記念番組製作のロケハンを兼ねる、という1度で4度も美味しい計画を、石川直樹氏は持っていた、ということでした。

同行取材中に上記のような石川氏の隠れたもくろみを発見したオフィス21ディレクター氏は石川氏と衝突することとなり、結局、ニュースステーションのこの企画はつぶれました。しかし、ヤップの離島まで軽飛行機をチャーターして取材した会社としては、取材費等数百万の赤字でしょう。

日本テレビのおはようモーニングに衛星電話で出演が成ったかどうかは、確認できませんでした。寺子屋サイトはシャーシャーと現地から書き込みしていました。それで最後のTBS、これは金にモノを言わせて強引な取材を断行、翌2002年2月に、くだらな〜い番組として放映されました。おまけに、その取材のコーディネーターとして雇われていた人物は、ある島の人から日本の時計を買って送って欲しいとお金(200ドル)を預かったまま、持ち逃げです。いまだに(2005年1月現在) お金も時計も送ってきていません。

私の意見・立場は、外国のテレビや映像の取材がヤップに来る場合、現地の人々のプライバシーの無視・軽視、自分達の企画に現地を合わせようとするヤラセ、事実の歪曲、現地の人々の尊厳を損なうような低俗さ、取材陣の準備・勉強不足、などを徹底排除するような良識的な取材姿勢が見られない場合、積極的に現地側に立って砦を築く、ということです。いままでどれだけ、くだらない、オモシロオカシク、あるいはマジメクサッテ、ヤップの現実を歪曲した番組が、日本や世界に流され続けたことでしょう。TBSよ、貴局番組がダントツ多いのだよ、そーゆーのが!

ここでは記録として、石川直樹氏をめぐる顛末で私が現地で配った書き物をリンクしておきます。すみません、一部を除き、英語です。

コメント 2001年11月13日

コメント2001年11月28日

コメント2001年12月10日

レポート2002年5月21日

JICAへのレポート2002年6月27日

 

 

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